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  • 幼児・児童虐待問題を全力でゼロにするために。

    2019.02.01

    こんにちは。秋田市議会議員の宇佐見康人です。
    先日、また虐待により幼い命が絶たれてしまいました。心愛さんのご冥福をお祈りすると同時に、改めてこのような悲劇が繰り返されないために社会全体として取り組んでいかなければいけない問題だということを心に強く持ちました。
    初当選以降、虐待問題、貧困対策、子育て環境の充実には一番取り組んできたと自負していますが、自治体は違えどこうしてニュースになってしまうことが悲しくて悔しくて仕方ありません。
    秋田市のみならず、世界から虐待が無くなるようにこれからも一政治家として正面から向き合っていきます。
    社会的養護のあり方と理解、児童相談所の業務体制の見直し、警察・小学校・地域との連携の取り方、保護者の更生、予算配分など、抱える課題は多くありますが

    さて、心愛さんが亡くなった直後に、自身も小さい時(今から15年前)に虐待を受けていたという方(以下県外出身者Aさん、女性)から連絡がありお会いし直接そのお話をお伺いすることができました。今回の心愛さんの虐待死を受け、自身の経験を活かして欲しいということ、このブログを読んで虐待をなくすために本気で動いてくれるのではないかという期待から連絡をしてくれたと言っていましたが、直接話をお伺いしてみて、端的に言うと私の認識と取り組みは本当に甘かったと痛感しました。
    なお、本人が特定されないように配慮しブログへの記載も許可してもらいましたので、Aさんが経験したことのほんの一部ですが書きたいと思います。
    Aさんが虐待されていると認識したのは中学校に入ってからだそうです。幼稚園、小学校の時は蹴られたり叩かれたり、言うことを聞かないとご飯をもらえないのが当たり前であり、他の子もみんなされていると思い込んでいたそうです。また、小さい時から「ダメな子」と言い続けられ、そのダメな子を助けてくれるのは唯一母親であり、今だから振り返って感じるのは暴力を受けることよりもその助けてくれる母親がいなくなってしまうのではないかという恐怖心がとても強かったと言っていました。
    しかし、中学校で宿泊研修に行き友達から背中のアザを指摘され、他の家ではそんなことはないんだと初めて知ったそうです。その時は思わずごまかしたそうですが、家に帰り母親にその旨を伝えたら次の日から学校には行かせてもらえなくなったそうです。当然、虐待を受けているということは先生も他の生徒も気がついてくれるはずもなく終わったそうです。
    ちなみに父親は叩かれたり蹴られたりするのを見てはいるものの一度も助けてはくれず、一番信頼できなかったそうです。
    家にずっといるようになり、他の子が高校に入った頃からアルバイトを始めたそうですが、給料は全額母親に取られ唯一支給されたのは携帯電話代として月に3000円だけ。しかしこれでは携帯代すら払えないので、未成年でも年齢を隠しお酒を提供するお店で働き始めたそうです。
    成人をした頃に就職を決意し親元を離れようやく暴力を受けなくなったそうですが、今でも誰かが急に立ち上がったりしたら殴られるという恐怖心が芽生えるそうです。

    それらの話を聞き、Aさんから私の今までの議会での取り組みの甘さを指摘されました。Aさんは私のブログや議会でのやりとりをそれなりに読んでくれたそうですが、児相の存在をまず知らないこと、身近な大人は親しかいなくそんな状況で相談をしろと言われても無理なこと、近所の大人も気がついていたはずなのに誰も助けようとしないし、小さい子であれば虐待をされているという認識もないこと、表面化されているのはほんの一部であり他にも命の危険を感じている子は絶対にいるということ。
    そもそも、虐待を受けている特に心まで支配されてしまった子、また、親が近所と上手くやっている家庭の子ほど相談なんて出来ないし、裏切ったら何をされるか分からないという恐怖心があるので、親以外の大人が注意深く気がついて助け舟を出してあげるしか方法はないと教えてくれました。
    もっと他の人たちに現実的な自分たちの問題として認識してもらえるような取り組みを進めて欲しいとのことでした。
    Aさんいわく、今回学校に相談をした心愛さんはまだ諦めてはなく先生が助けてくれると信じていたが、実際にはそんなことはなく、逆に裏切られてしまったと。心愛さんはおそらく「やっぱり大人は信じられない」という気持ちで亡くなったのではないかと虐待を経験した身からすると感じるとのことでした。

    虐待を根絶するためには様々な期間と連携を取り合いながら、それぞれの大人が本気で取り組んでいかなければいけません。
    今回一通のメールから一部をお聞きすることができましたが、それぞれの子供が抱えている背景も状況も違いますが、私たちが最後まで諦めずに、子供たちが輝ける社会を創っていかなければいけないと改めて思いました。
    私にできることには限りがあります。でも無力ではありません。
    同じ思いの人を一人でも増やし、このような事件が二度と起きないよう引き続き頑張っていきます。