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  • 阿部雅龍さんへ

    2024.04.07

    尊敬していた阿部雅龍さんが27日の朝、闘病叶わず亡くなってしまいました。

    いつまでもクヨクヨしていても仕方がないし、それは阿部さんが私に期待していることではないので、雅龍さんとの思い出を綴ることで前に進もうと思います。何が出来るか、どうすれば出来るか、前に進むために何をするべきなのかを常に考えていた雅龍さんに、あちらの世界で会った時に、笑いながら「すぐに切り替えましたよ!」と言えるように。しばし、お付き合いしていただけると幸いです。

    雅龍さんは普段は東京に住んでいたし、それ以外でも全国での講演や冒険の準備などでしょっちゅう会うことはできませんでしたが、それでも秋田に来た時、東京に行った時にはご飯に行ったり、コーヒーを飲みに行ったり、互いの近況を報告したり、夢を語り合っていました。店員さんや周りの人たちからしてみたら、店内で南極の話や政治の話をしていて完全に変な男二人だったと思います。

    雅龍さんは当時から、夢を追う男として活動し、様々な冒険に挑戦をしていました。何者でもなかった私は「秋田を元気にする男」と勝手に名乗り、人の夢を応援することを生き甲斐にしていました。

    秋田夢会議という、夢を持って挑戦している人たちを応援するというちょっと変わったプレゼンを聞きながら飲むという会をその昔やっていました。そのゲストに来てもらったというのがきっかけで親交が深くなったと思います。出会いのきっかけは共通の友人が引き合わせてくれました。基本的に人見知りの私は初対面の人と長く話すことが苦手でしたが、それでも雅龍さんは別でした。時間と夢しかなかった私たちはナガハマコーヒーで3時間くらい色んな話をしたことを覚えています。

    今は夢会議を開催していませんが、「活動が広がったのは宇佐見くんがきっかけ」と会う度に言ってくれたので、少しは阿部さんの役に立てていたのかなと思うと嬉しいです。

    アウトドアが嫌いな私にはとても出来ない『冒険』というステージで挑戦している雅龍さんを尊敬していました。とても私には出来ないことをしていて凄いと思っているということを伝えた際には、「僕には政治は出来ない。僕も宇佐見くんを尊敬しているし、親友だと思っている。」と言ってくれた時の喜びは昨日のように思い出せます。

    出会って一年くらいした頃に「山頂で飲むコーヒーはとても美味しいから一回飲んだ方がいい」という理由で大嫌いな登山に連れて行かされたことがあります。今だとパワハラになると思います。

    雅龍さんにとってはトレーニングの一環ですが、私にとっては命を賭けるくらいの一大イベントであり、勝手に日程を決められてからどうやって断るかしか考えていませんでした。雨が降ってくれれば中止だと思い、雨乞いもしていました。

    しかし、当日は天に私の思いは通じずに快晴でした。目覚まし時計を止め外を見た時に雨が降っていなかったのでため息が出るくらい、とても残念でした。

    朝早く出発し、ピクニック程度の軽い気分で行った私は、登山の途中何度も絶望の淵に立たされました。

    ゴツゴツした岩場を登ったり降りたりしなければいけない過酷な登山だったのです。私は何度も帰りたいと言いましたが、雅龍さんは笑いながら少し先を進んでアドバイスをして待っていました。その笑顔を見て、凄いなと思う反面、この野郎とも思っていました。

    山頂付近に到着し雅龍さんは私にコーヒーを入れてくれました。あの時私は「絶対にスタバで飲むコーヒーの方が美味しい。」と言いましたが、あんなに美味しいコーヒーはないと思います。

    できるなら、また一緒に飲みたいですが、それも今では叶わないのが残念です。雅龍さんが亡くなってから、もう一度登山をしたいと思うようになりました。アウトドアは嫌いですが、今年は登山だけは行ってきます。山頂でコーヒーを飲んで、雅龍さんを思い出します。

    これも議員になる前ですが、男二人が寝られる広さとは言えない浅草のゲストハウス的な家に泊まりに行ったことがありました。

    人力車の仕事を終えた後に合流し、ご飯を食べ、一緒に銭湯に入り、雅龍さんの家へいきました。家ではウィスキーをストレートで飲みながら、白瀬中尉への想い、大和雪原への挑戦、そこに至るためのプロセス、将来設立したいと思っている冒険学校のこと、南極への夢を語ると笑われてしまうことの悔しさ、お母さんへの感謝と不安を与えてしまうことへの申し訳ないという想い、白瀬さんから受け継いだ夢を次の世代にも繋げたいという気持ち・・・夢の話をいっぱい聞かせてもらいました。あの時の二人だけで熱く話した時間は私にとって一生の宝物です。ありがとうございます。

    阿部さんと一度だけ喧嘩というか怒られたことがありました。それは、私が市議会議員に立候補すると決めた時です。

    私から、市議会議員選挙に立候補するので程々の距離感でいきましょうと進言した際に、他の人だったらそうするかもしれないけど宇佐見くんとはそうはしないと言ってくれました。僕は政治に影響されるような人間にはならないし、政治家になったから付き合い方が変わるなら、今ここで絶交した方がいいと言われました。そして、推薦文まで書いてくれて嬉しかったです。

    あの時は、これから大きな夢に挑戦するのに、こいつは正気か?と思いましたが、その後の互いの活動を見ているとその通りになったなと感じています。

    今までどんな困難も乗り越えてきた雅龍さん。でも今回は残念ながら、病という大きな壁に阻まれてしまいました。今までの冒険で、命の危険に晒されていても必ず生きて帰ってくると信じていた私は、そういった話をいつも笑いながら聞いていました。雅龍さんの聞き迫る話を手を叩きながら聞いていました。それもこれも雅龍さんが必ず帰ってきてくれたからです。

    でも今回は、全く笑えません。こんなに泣けるんだなってくらい泣きました。一人になると辛い時もあります。それだけあなたのことが好きだったんだなって思います。

    互いに忙しくなってからは、秋田で数時間しか会うことができなくなってしまいましたが、もっと冒険の話を聞きたかったですし、私の夢の話も聞いて欲しかったです。なので、そっちの世界に行った時にはよろしくお願いします。

    阿部さんが言ってた「地中の宝」=「次の世代への優しさ」は確実に私たちが引き継ぎ繋いでいきます。子どもたちが挑戦心を持てるように、阿部さんが白瀬中尉に憧れ挑戦し、多くの希望になったように、阿部さんに憧れ挑戦する子が現れるように私たちが頑張っていきます。

    まずは、そちらでネタ集めを頑張ってください。

    私もこっちでいっぱい挑戦しネタを集めていきます。

    雅龍さん、またね。