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  • 一般質問が終了しました。

    こんにちは。秋田市議会議員の宇佐見康人です。
    本日は秋田市議会の本会議一般質問が行われ、登壇してきました。
    全体的に前向きな答弁をもらうことができたように感じます。イージス・アショアの配備については一部のメディアの方から「何でもっと突っ込まなかったのか?」聞かれましたが、賛成反対を明確にしてもらうことが目的ではなく、どうしたら安全性を担保できるか、どうしたら防衛省から客観性のあるデータを入手できるかが最大の課題であり、それに向けて市と議会で連携して進んでいくべきことだと思っています。
    しかし、何をもって「地元の理解を得られたのか」ということに関してはもう少し踏み込んでも良かったのかなと反省しております。
    昨日の防衛省による住民説明会も聞きましたが、防衛省による説明は全く説明になっておらず、私の住んでいる土崎、将軍野では自衛隊への理解が高い地域だけに残念で仕方ありません。

    全体の質問内容は以下に記載しますのでご覧ください。
    後日、市議会のホームページでも映像でご覧いただけると思います。原稿をそのまま載せますので実際の発言内容と若干違う点もありますのでご容赦ください。

     早いもので、当選直後に生まれた娘も先日無事に3歳になりました。世間一般で言われている「魔の2歳児」を卒業し、「悪魔の3歳児」に突入するわけですが、「天使の4歳児」を迎える日を楽しみに過ごしていきたいと思っております。私たち夫婦も親になり3年です。そして私自身は政治家となり3年です。これからも子どもと共に成長していきますので、引き続きのご指導のほど宜しくお願いします。

     それでは、通告に従い質問をさせていただきます。

     5の(4)については昨日の住民説明会を外で聞いていて、意見集約も含め、防衛省が防衛省の責任で取り組むべきことであると感じましたので割愛します。
    また、5の(5)については、先ほどの田中議員への答弁で理解はしましたので割愛します。はじめに1・子供の人権についてです。

     先日の結愛ちゃんの虐待死報道を受け、言葉では表せることができない気持ちになりました。

    ママ

    もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから 

    きょうよりかもっと あしたはできるようにするから

    もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします

    ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして

    きのうぜんぜんできなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす

    これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる

    もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします

    もう あしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ

     結愛ちゃんは覚えたてのひらがなで、なぜこのような文章を書かなければいけなかったのでしょうか。

     私は今まで虐待のニュースが流れるたびに目を背けていました。それは、私自身の心が辛くなるからです。今回も3月3日に結愛ちゃんの父親が逮捕された報道があった時も、いつかこのような事件がなくなることを願うだけでした。悲しい、辛いという気持ちだけで終わらせていました。

     でも今回の結愛ちゃんのニュースを知ったことで、悲しいことだけど、辛いことだけど、向き合わなければいけない。そう思いました。

     子どもは小さければ小さいほど頼れる人間は限定されてしまいます。本来頼れるはずだった親に見捨てられ、彼女のことを思うと、どうしようもない気持ちになってしまいます。結愛ちゃんが書き留めた「パパ、ママゆるして」というメッセージは親に向けたものですが、私はこれを読んだ時、「お前はどう向き合っていくんだ?」と直接、私に問いかけたものだと感じました。

     本事件における問題の一つは、児童相談所や行政が虐待疑惑について把握していながら、虐待死という悲しい結果を防ぐことができなかったことです。

     本事件の詳細についてはすでに報じられている通りですが、様々な機関の連携不足による失態であるというのは言うまでもありません。

     秋田市の状況を確認したところ、過去5年間で年平均で新規案件約57件、継続案件約32件、合計約90件の報告や相談がありました。児童相談所や警察との連携は密に行っているとのことでしたが、この事件を受け今後の対応をもう一度精査し、事件を未然に防ぐだけではなく、秋田市から児童虐待、幼児虐待が根絶されるような姿勢を明確にとっていただきたいと切に願います。

     各種メディアや世論では、虐待する親への厳罰化を求める声や、児童相談所の対応を非難する声が上がっています。私も、どんな理由があれ虐待を許すことはできませんし、今回の児童相談所の対応が良かったとも思っていません。
    しかし、逮捕された母親は、もしかしたら加害者であり被害者であったのかもしれません。それを一切擁護する気持ちはありません。しかし、私たちが目指すべきは、犯人を攻め立てることではなく、今後、子どもの人権を守ることを誓い、児童虐待を根絶していくことにあります。
    国会ではようやく本格的な対策と法整備を進めるための議論がされ始めました。今後、関係各所の連携と体制の強化、受け入れ先の拡大、親権停止措置などの関係法令の整備が予想されます。
    児童虐待が発見され、親権の一時停止があった場合、保護施設だけではなく、家庭的な観護も必要になり、その受け入れ態勢の整備も必要となってきます。里親制度の普及に関する質問は以前もさせていただきましたが、改めて必要性を感じますので再度質問をさせていただきます。

     私には子どもを虐待する気持ちは分かりません。でもそれは、たまたま父親や母親に恵まれ、周りの協力もあり、そして何より、妻が私以上に自分を犠牲にし娘を明るく元気に育ててくれているからだけなのかもしれません。

     秋田市内で「虐待に苦しむ子ども」をいかにして救うか。それをこれから政治家としてだけではなく、一人の人間として、一人の父親として向き合っていこうと決めました。

    (1)本市で把握している児童虐待問題に対して今後どう向き合っていくのか、また、虐待根絶に向けた取り組みをどのように行っていくのか

    (2)児童虐待による最悪の事態を防ぐため、本市も積極的に介入するべきと思うがどうか

    (3)里親制度の普及にこれまで以上に取り組むべきと考えるがどうか次に、2・子供の貧困対策等についてです。


    以前の質問で貧困対策に本腰を入れてほしいと提案をた時と同様の意見になってしまいますが、子どもの貧困に関しては、相対的な貧困は時勢にも左右されるので解決するのは難しいですが、絶対的な貧困は何としても解決しなければいけないことです。
    「秋田市子どもの未来応援計画」の策定にあたっては、秋田市の「親からの目線」での対策や有識者からの目線での対策についてはとても参考になりますし、是非積極的に進めていってほしいと願っております。

     厚生委員会に所属していながら、当時は何も疑問に思わなかったのですが、同計画には、子ども目線での現状の把握が不足しているのではと感じます。
    東京都でも子どもの貧困対策のために「子ども生活実態調査」を行いましたが、同調査の中で、子ども目線での質問項目を設定し、生活困難度が高いほど自己肯定感が低くなるという調査結果が出ています。
    支援を必要とする子供自身が、生きることに価値を見出せず、希望を失ってしまっているような場合の支援のあり方を私たち大人はもっと考えなければいけないのではないでしょうか。また、自己肯定感の向上は大人になった時に困難な状況にあっても、逆境に立ち向かっていく力を育むために必要なことでもあります。

    「自分が早く自立できたらと、何度もふさぎこんだ」

    「手を差し伸べられると、振り払ってしまう自分がいる。私は、こんな自分を好きになれない」

    「けれど、誰にも話せない。誰も分かってくれない」

    「こういう風に考えてしまう自分が嫌いです」

    「いつも一人でいる。学校でも一人ぼっちでいる」

    「生きたいのか分からない。自分のことがわからない」

     これらは、あしなが育英会に寄せられている高校生の声です。子供達は生まれる場所も、生まれる国も選ぶことはできません。

     私たちがいくら「そんな風に思わなくてもいいよ」と言ったところで問題は解決しません。
    秋田市でも貧困問題の解決に向けて様々な支援がなされていますが、それらの支援に行き着けるのは貧困状態の中でも希望を持てる子だからです。問題は希望を持てない子、アプローチしても届かない子にどう届けるかです。

     自己肯定感を向上させればすぐに貧困が解決するわけではありませんが、これらを把握し次の対策を打っていくことや、保護者へのアプローチの仕方を改善するための方策は生まれると思います。

     子供の貧困は、子供とその家族だけの問題ではありません。私たち大人の問題でもあります。私が今より年齢を重ねた時に社会を、秋田市を回しているのは間違いなく今の子供たちです。

     「かわいそうな子供」のための対策や計画の話ではなく、「私たちの現実的な問題」として全ての子供が希望を持ち秋田市で輝けるようにしていく責務が私たちにあるのです。

     貧困問題は家庭の支援をし、家庭の所得を増やせば減るのかもしれません。しかし、お金さえあれば、子供たちが幸せに、そして健全に育つというわけではありません。学力も必要ですし、人とのつながりも必要ですし、居場所も必要です。そして何よりも、「意欲」が必要です。

     これらがあって初めて様々な課題に対して前向きにチャレンジすることができ、自分の価値を感じることができます。

     是非とも、子供の視点にたった、子供たちが自ら存在価値を見出せるような取り組みを進めていただきたいです。

    (1)自己肯定感の低い子供に対する市長の認識はどうか、また、東京都の「子供の生活実態調査」では、子どもの自己肯定感について調査し、生活困難度が高いほど自己肯定感が低いという結果が出ているが、本市でも同様の調査を実施し、実態の把握に努めるべきと考えるがどうか

    (2)秋田市子どもの未来応援計画の中で、自己肯定感の向上に向けた取り組みを進めていくべきと考えるがどうか

    (3)子どもの貧困対策庁内連絡会が設置されているが、貧困対策に係るプロジェクトチームを立ち上げ、全庁的に取り組んでいくべきと考えるがどうか

    次に3・環境施策について

     家庭ゴミ処理手数料は実施から6年が過ぎようとしていますが、未だに賛否両論あります。同じ会派の武内議員も、社会市民連合の工藤議員も昨年この課題に関する質問をしており、多少重複してしまうかもしれませんが、私なりの視点で質問をします。
    このゴミ処理手数料に関して特徴的なのは、年代により納得感が全然違うということです。

     総合環境センターにある処理施設は次の世代も使いますが、全体的な自然環境、社会環境に関しては確実に次の世代の方が悪い環境でバトンを渡されてしまいます。この島国日本で、どのようにゴミと向き合っていくかというのは我々の世代だけではなく次の世代にとっても大きな課題ですし、少しでも負担を少なくして次の世代に渡すべきであります。

     国の目安では、1リットル1円から1、5円の処理手数料で約20%の削減効果があるとしていますが、秋田市の場合当初設定していた目標は達成したとはいえ、平成37年度まで一人一日当たり家庭系ゴミ排出量を480グラムとする新たな目標ができ、達成に向け頑張っていますが、近年はその削減効果も鈍化し「慣れ」が見えるように思います。

     さらに金銭的な負担を求めるのではなく、やれることをもっと一生懸命やっていくという姿勢を示すことも重要です。ゴミ減量に向けて様々な取り組みをしているのは承知していますが、この慣れを解消するというのと、住民主体となってゴミを減らしていくという意識の醸成をしていく取り組みは更に強化していくべきではないでしょうか。

     秋田市では、廃棄物減量等推進員は配置されていませんので、分別、減量、そして市民の現状把握と意識改革を進めていく上でも配置の検討をしてみてはいかがでしょうか。

     また、ゴミの減量は家庭系のゴミだけではなく、事業所系のゴミもかなりのウェートを占めています。会社経営をしていく上でゴミが発生してしまうというのは仕方のないことですが、生活者以上にゴミを出さないための取り組みを促していくべきです。また、スーパーに買い物に行って毎回思うのは、どうせ捨てるものなのになぜこんなに何重にも包装しているのだろうかということであり、ゴミの発生抑制にも力を入れていくべきです。

     家庭ゴミ処理手数料相当額の使い道も、意見交換や会派のキャラバンをしていると注目度が高いです。その使い道がゴミ減量に向けた取り組みにつながっているのか、そして環境対策に使われているのか疑問に思っている人が多いからであり、その使途を、しっかりと住民に還元されるよう、例えば秋田市独自で環境施策に資する電気自動車の補助に充てたりしたり、より利用しやすい形での街灯のLED化の支援など、もう少し幅の広い使い方も検討していいのではないでしょうか。
    半分は一般廃棄物処理施設整備基金に積み立てをしていますが、将来的に施設整備にいくらかかり、どれくらいの規模の整備をするのか分からない、ゴールが見えない状況で負担をし続けるというのも納得感が高まらない一因だと感じます。
    整備に想定以上にお金がかかるかもしれませんし、想定以上に金銭的な負担は少ないかもしれません。それらを公表することで、市民が主体となり今後のあり方を考える契機にもなると思います。

     様々な世代で、納得感を持ち、次の世代のためにも、この問題をしっかりと解決し前に進んでいかなければいけません。

    (1)1リットル1円の家庭ゴミ処理手数料で、1人1日当たりの排出量480グラムを目指すとしているが、目標値に届いていない現状をどうとらえているのか

    (2)ごみ減量をさらに進めていく上で必要なことは何か、また、ごみ減量を推進するため、廃棄物減量等推進員を配置し活用すべきと考えるがどうか

    (3)家庭ゴミの減量を進めるとともに、事業者にもゴミを出さない取り組みを積極的に促すべきと考えるがどうか

    (4)家庭ゴミ処理手数料相当額の使途について拡大するとともに、一般廃棄物処理施設整備基金積立金の積立額の割合についても、歳入の状況に合わせて柔軟に対応できるよう検討すべきと考えるがどうか

    (5)秋田市総合環境センター施設整備計画を作成し、市民に早く公表すべきと考えるがどうか

    4・今後の防災、減災のあり方について

     昨年、そして今年の豪雨により被害に遭われた方へ心よりお見舞いを申し上げます。

     防災、減災については、秋田市に限らず他都市の事例も参考にしながら常に検証を重ねアップデートし続けていくことが大規模災害が発生した時に実効性のある最大の対策になります。

     豪雨への対応についての昨年の答弁では「道路の通行止め箇所の周知や避難者への情報提供が不足」を課題にあげていましたが、今年の豪雨の際はその課題は解消されたのでしょうか。また昼の情報伝達と夜の情報伝達のあり方も個人的には課題なのではと感じています。

     避難所の運営についてですが、大きい災害が起きた時、行政職員も被災者になりますし、学校などの避難所では先生が一時的に避難所の運営をすることがあるかもしれませんが、先生は子供たちの命と安全を守るために職責を果たしてもらうことが何よりも重要でありますし、各サービスセンターへ避難された場合も、地域住民が主体的にその運営をしていくというのが重要なのではないでしょうか。

     行政に頼らない自助、共助の意識の向上、減災、防災意識の向上の取り組みも進めていかなければいけません。いつ災害にあうか分かりませんが、大規模災害にあった時、私たち市民が当事者として主体的に復旧復興に向けて一日でも早く立ち上がれるように、私たち自身が行政に頼りすぎないようにする意識を持てる取り組みを進めていくべきです。

    (1)昨年の豪雨災害での教訓を、今回の豪雨災害時に生かすことはできたのか、また、今回の豪雨災害に対する反省点はあったのか

    (2)大規模災害時には市職員も被災者となる可能性があることから、行政に頼らない防災、減災意識の向上につながる取り組みが必要と考えるがどうか

    5・イージス・アショアの配備についてです。

     これは秋田市だけの問題ではなく、国全体の問題であり、同時に世界の問題でもあります。国有地にどのような防衛設備を建設するかは国の専権事項ではありますが、秋田市がどのような姿勢を示すのかというのは日本中が注目しています。
    攻撃力を持たない我が国にとっては、どこに配備されるかは別として、イージス・アショアの配備の必要性は高いものだと思っています。

     また、基地があれば一番先に攻撃されるという見方やテロの脅威にさらされるという論調もありますが、そうならないための施設であり、万が一にもそのような状況になった場合には、すでに戦争状態であり日本の中でどこが安全で、どこなら安心に暮らせる、という話ではないと考えます。私の地元土崎、将軍野にも駐屯地があり、そのような状況になった時は決して安心できる環境ではありません。
    しかし、これらは今までの自衛隊への信頼と、これからの防衛省による誠意ある対応があれば、変えていけるものだと思います。

     米朝首脳会談が行われ北朝鮮の非核化に向けて融和的な動きが見られますが、北朝鮮が今の体制を保証して欲しいと望んでいる限りいつミサイル問題が再燃するかわかりません。平和的な話し合いを望むものの、9年ぶり5度目の非核化宣言をですので懐疑的な見方も必要かと思います。
    仮に世界が北朝鮮の体制を保証するとして、拉致問題はどうするのか、北朝鮮に住む2,000万人の国民の人権は無視するのか、そういったことも我々は考えていかなければいけません。

     しかし反面、まともな説明もなく、様々な憶測が先行している現状を見ていると、一秋田市民として、そして子育て世代として不安を覚えるのは確かです。

     国防の議論をすれば、日米安保、日米合同委員会、沖縄の基地負担、在日、在韓米軍、憲法上の日本の防衛体制など総合的に考えていかなければいけない問題であり、今日明日すぐに解決できる問題ではありませんし、これ以上は市議会で論ずるべきことではないので、ここからは個人的に考えている、議会で議論すべき優先事項は何であるかを述べさせていただきます。
    このイージスアショアの配備の報道がなされてから、私は毎日、どのような道筋をつけるのが一番良いのか、子供の顔を見るたびに悩みました。

     地方議会でできることに限界はあります。でも、できることも沢山あります。賛成、反対の感情による議論ではなく、客観的な事実を積み上げていくために、次の3つがことが非常に重要なことではないでしょうか。
    一つ目。

    ・8月に大臣の方針が示された後、選定に至るまでのプロセスはどうだったのか。

     今後防衛省が地元の理解を得るとしている上で、どういったプロセスで最適候補地となったのか、議論が尽くされ選定されたのか、など、を公表しなければ話が進まないですし理解を得ることは難しいのではと感じています。

    二つ目。

    ・今後の調査の結果で「安全な配備が可能」とされた場合、様々な運用面での担保は誰がどのような形でするのかを明確にしてもらうこと。

     今後、本格的な調査が進んでいきますが、レーダーが安全だというのであれば、防衛上厳しいとは思いますが、その安全性を測るデータや、テレビ塔や飛行機に「大きな影響」が無いとすれば、どのような影響ならあるのか、などを示して必要があります。今後の調査では生活に影響が出ないように、どのような対策をとればいいかを確かめる作業を行うようですが、イージスそのものの安全性ではなく、運用面での安全性の議論になった場合、運用は人間がしますので、その担保がなければ、ここに暮らしている私たちの「安心」というのは手に入りません。

    三つ目。

    ・地元の理解と協力とはなんなのかを明確にしてもらうこと

     先日の全員協議会でも、昨日の住民説明会でも明確な答えがなく残念に思いました。理解とは何なのかという問いに対して「理解を得られるように努力する」では答えになっていません。今後丁寧な説明が求められる場面であのような答弁であれば、消極的でも配備に理解をしてくれている人たちも反対になってしまうのではと危惧しております。

     長々と述べましたが、今後、防衛省がどのような姿勢で住民の理解を得るかは分かりませんが、秋田市としてどのように考えているのか、どうあるべきかは伝えておく必要はあるのではないでしょうか。

     最後に、先日の全員協議会では、県議会、市議会共に注目を集めていましたが、他の山積する課題もこのように注目され、市民一人一人が当事者として参加し議論していれば、秋田市ももっともっと変わっていたんだろうなと思ったというのが私の正直な感想です。 目に見える脅威だけでなく、対内的な課題も大いに議論すべきであり、その環境を私たちの手で作っていければと思います。

    (1)イージス・アショアの配備に対する市長の見解はどうか

    (2)イージス・アショアが本市に配備された場合のメリットとデメリットについて市長はどう考えているのか

    (3)小野寺防衛大臣は「地元の理解を得る」としているが、市長が考える地元の理解とは何か

    (4)市民から広く意見を聞く機会を市として設けるべきと考えるがどうか

    (5)全員協議会の中で、防衛省は住民説明会の開催について「今後市と相談して決めていく」と発言していたが、本市は同省とどのようにかかわっていくのか

    最後に5・大森山動物園のさらなる魅力向上についてです。

     私は小さい時から動物園が好きです。今も年間パスポートを買って一年に何回も娘と一緒に大森山動物園に遊びに行ってます。
    動物園に行った帰りの車中では動物が可愛かったという話もしますが、「キリンさんは寝ないで注射するんだって~」とか「ペンギンさんはお魚食べて偉いね~。でもカンタ君は野菜食べないよね~」とか「クマさんは手が強いんだよね~。」といった、動物を見たこと以上に、飼育員さんとの交流や会話が思い出に残っているようです。

     また、これは私の主観と趣味の領域がかなり大きい意見ですが、大森山動物園の最大の魅力は飼育技術にあると思います。SNSでも動物園の愛好家からの評判はかなり高いように思いますし、動物園の裏側を観れる体験では申し込み開始と同時に締め切りとなった光景を目の当たりにして需要の高さを実感しました。

     動物園といえばファミリー層をターゲットにした集客が当たり前となっていますが、今後新たな客層確保と情報の拡散を狙い、飼育員さんの技術や知識を愛好家向けに紹介する場を積極的に設けてほしいと思います。
    そして、大森山動物園の飼育員さんのプロとしての誇りがさらに高まり、日本の中でさらに注目が集まるようになってほしいと願っております。

    (1)全国の他の動物園とを比較した場合、同園のセールスポイントは何か

    (2)同園の飼育員が有する高度な飼育の知識を、動物愛好家向けに紹介するための研修を開催するなど、新たな客層を取り込む検討をしてはどうか

    以上で、私の質問を終わりますが、本日傍聴にいらしてくださった皆様に心より感謝を申し上げます。