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  • 相撲の女人禁制問題やセクハラ問題は対岸の火事ではない。

    2018.05.22

    こんにちは。秋田市議会議員の宇佐見康人です。
    4月5月は学校行事や各種団体の総会などが多く行われ嬉しくも忙しい日々を過ごさせていただいております。
    さて、今更感がとっても強いのですがあえて「相撲協会の女人禁制問題」や「セクハラ問題」について考えるところをツラツラと述べさせていただきます。
    言い訳ではありませんが、私は女性を蔑視する気持ちも性差で差別されるような世の中は嫌いです。少しでも改善するべきです。また、女性の活躍も大いに進めるべきだと思っています。
    現在秋田市では「女性の活躍推進」に関する事業を行っていますが、対象の多くは「働いている女性」となっています。国が主導していることなのである程度仕方のないことなのかもしれませんが、国に習ってやるよりも、秋田市が考える「女性の活躍」とは何なのかを明確にすべきだと思います。

    先日ある年配の男性が私に「昔は男親が仕事休んで卒業式や入学式に行くなんてありえなかった」という話をしてくれました。はじめは「今の若いのは簡単に休む。仕事をなんだと思っているのか。」という話が中心でしたが、よくよく話をしていると「自分もそれが出来れば入学式だって卒業式だって運動会だって参加して子供と過ごしたかったけど、時代が許さなかった。だから羨ましい。若いのにはどんどん学校行事に参加して欲しい。今考えれば子供の成長なんて一瞬。」というところで落ち着きました。

    親はいつの時代も親であり、子はいつの時代も子なんだなと思った瞬間です。
    どんなことでもそれが100%正しいということなど存在しません。時代に合わせてゆっくりとでも変えていけば良いのだと思います。
    先輩たちが「当たり前」だと思い続けてきたことを否定するのは物事を解決するために必要なことではありません。互いの主義主張を真っ向からぶつけ続けたって体力を無駄に消費するだけです。
    なぜそれが行われていたのか。「伝統」として守るべき本質は何なのか。変えていくべきところはどこなのか。というのを互いに出し合い譲り合い全ての世代で新しい伝統や文化を次に伝えていく。そして次の世代にまた選ばれ伝えてもらうという作業が必要なのではないでしょうか。

    前振りが長くなってしまいましたが、相撲協会の一件は「命より伝統を優先したのか」、次に「女性蔑視につながりかねない伝統なのかどうか」という議論を進めるべきではないでしょうか。
    命より優先する伝統は無いと私は思いますが、それは私の中だけの話なのかもしれませんし、なぜそれを重んじなければいけないのかも考える必要があります。

    この相撲協会の一件だけではなく、男女差別というのは全ての世界に存在しています。
    例えば私の地元の土崎港曳山まつりも数十年前までは女性が山車に触れることや綱を触ることは許されませんでした。しかし、時代の流れと共に徐々に女性も演芸だけではなく山車に直接携わることになりました。
    しかし、未だに重要なポスト(委員長や警護長)などは全て男性になっています。

    男鹿のなまはげも男性中心の祭りであり、明確に反対する人はいませんが暗黙の了解として今もなお続いています。
    私はこれはこれでいいと思っています。しかしこの後どうなっていくかは分かりません。

    大切なのは、やりたいやってみたいという女性が現れた時にそれを正面から否定するのではなく、どうしたら互いに良い方向に進んでいけるかを模索することでは無いでしょうか。

    伝統や文化を守り次の世代に繋げていくのは簡単な話ではありません。先輩たちがいくら残したいと思っても引き継ぐ人がいなければ残す事は出来ません。

    今後様々な場面で同様の事が起きると思います。伝統や文化がどうあるべきかを一人一人が考えるキッカケになればいいですね。