2017.08.15
8月15日は終戦の日です。
私もここ数年、地元の護国神社へ正午に参拝をさせていただいています。
兵隊さんとして犠牲になられた方、特攻隊として散った方、空襲で命を奪われた方、病気や栄養失調で命を落とした方・・・戦争により多くの命が大東亜戦争により消えていきました。
私たちが今こうして平和に暮らせているのは、間違いなく尊い犠牲があり、彼らが託した明日の日本を先輩たちが守り伝えていったからだと思います。
本当に感謝の気持ちしかありません。
私は、先の大戦を8月15日だけは「大東亜戦争」という言葉を使っています。
戦後、太平洋戦争や第二次世界大戦と呼ばれる様になりましたが、当時犠牲となられた方は、間違いなく日本を守るため、家族を守るため、そして欧米列強国の支配からアジアを解放しようと戦ったのだと信じています。そう信じて命をかけた英霊が多く存在します。
これは戦争の美化ではなく、当時、私より若くして命を賭した方々が天国から今の日本に帰って来た時に、何のために死んだのか分からなくなってしまうと思うからあえて「大東亜戦争」と呼んでいます。
私たち政治家は、今後尊い命が絶対に犠牲とならぬように仕事をしていかなければいけません。そのためには、先人たちへの感謝と、犠牲になられた方への不戦の誓いを強くしなければいけないと思っています。
終戦の日に右も左も関係ないと思っています。
大切なのは、こうして今平和な日本があるのは誰のおかげだったか、そしてこれから「世界の中の日本」として私たちがどんなことをしていかなければいけないかを考えることです。
英霊さんが託した今日の我が国は、英霊さんの目にどのように映っているのでしょうか。
国民同士で、右だ左だと争うことを望んでいたでしょうか。
硫黄島の戦いで有名な栗林忠道大将は最後にこう言ったとされています。
日本は戦に敗れたりといえども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対して涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし。
おそらく、多くの兵隊さんにとって戦争は怖いもの以外の何者でもなかったと思います。
国のため、家族のため、未来のためと何度も何度も自分に言い聞かせなければ、平常心を保つことなんて出来なかったのだと思います。
その気持ちを考えた時、何のために死んでいってのか迷わぬよう、私は「大東亜戦争」と呼ぶことしか出来ません。
また、この日だけは「日本国民として」戦争への反省よりも、「日本国民として」先人たちへの感謝と不戦の誓いが必要なのではないでしょうか。
もう同じような悲劇を繰り返さないため、そして、次の世代も、その次の世代も笑って暮らし続けていけるように一政治家として頑張っていきます。
さらに厳しいご意見いただくことを覚悟して書きますと、沖縄、広島、長崎、知覧、呉、靖国には中学生や高校生の修学旅行なんかで積極的に足を運ばせるべきだと思っています。
ディズニーランドやUSJなんかに行くより、「学習」という面ではずっと価値のあることだと思います。一人一人どう感じるか、何を思うかは自由ですが、70年以上前にこの平和な日本で何が起きたのかを知ることは、同じ過ちを繰り返さないためにも必要なことだと思います。